被災地の子どもたちと作った「のむらのうた」歌を通し、人が、地域が繋がっていく

2018年7月、西日本を豪雨が襲い、愛媛県西予市野村町も川の氾濫により多くの建物が濁流にのまれました。そこで育ってきた、野村町の子どもたちの心の傷をケアできないか…と模索するうちにたどりついた「歌づくり」。皆で試行錯誤を繰り返し、野村町の楽しい思い出と、「頑張ってみるけん、応援して」という想いを歌った「のむらのうた」が完成しました。今回は、その歌が完成するまでの軌跡と、「歌」を通した地域の繋がりについて、アカペラグループINSPiリーダーの杉田篤史さんにお話をお聞きしました。

アカペラグループINSPiリーダー
株式会社hamo-labo代表
杉田篤史さん

プロフィール

1978年、兵庫県神戸市生まれ。高校1年の冬、阪神大震災で実家が半壊し、体育館で10日ほど避難所生活を送る。大阪大学に入学後、アカペラグループINSPiを結成。在学中にTV番組「ハモネプ」に出演し、その年メジャーデビュー。2005年から日立のコマーシャルソング「この木なんの木」を担当。2015年メンバーがガンを発症し、グループの活動ペースが変わり、一般企業の広報部門に勤務。2年間ブラックな勤務体制を続け、体調に異変が。その経験から、組織の不調和の解決に音楽ハーモニーを用いることを思いつく。2017年音楽ハーモニーから人間関係の調和を学ぶ「ハモニケーション®︎」ワークショップを開始し、2019年株式会社hamo-laboを設立した

被災した野村町。子どもたちの心のケアを、歌で

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杉田さんは神戸のご出身ですが、今回歌を作られた愛媛県西予市野村町とは、どのような繋がりがあったのでしょうか?

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杉田さん

もともと僕は音楽ハーモニーを使って地域づくりやコミュニティの場づくりをする研究をしていて、そのパートナーが愛媛大学社会共創学部の羽鳥准教授でした。
研究を進めようとしていた最中の2018年7月、西日本豪雨が起こります。特に愛媛県西予市野村町では、市街地を流れる川の氾濫によって、住居や建物が濁流に飲まれ、多くの被災者を出しました。
羽鳥先生は、土木計画の専門家でもあり、被災した野村町にも足を運んでいました。そこで、子どもたちの心の傷に触れ、少しでもそれをケアする方法は無いかと相談された事がきっかけです。

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なるほど。最初は、子どもたちの心のケアを目的としたプロジェクトだったんですね。

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杉田さん

はい。西日本豪雨が襲った直後の8〜9月頃、羽鳥先生と一緒に野村町に出向き、小中学校の先生方とお会いしました。集まったメンバーで「子どもたちのために、何ができるんだろう…」と考えましたが、とにかく重苦しいというか…そんな雰囲気が漂っていましたね。
そんな中で、僕が「みんなで一緒に歌を作るのはどうですか」と提案。その瞬間、先生方の表情が一瞬でパッと明るくなり、「やりましょう!」と盛り上がりました。その、場の空気が切り替わった瞬間のことが僕は忘れられなくて…
子どもたちにとって大好きな野村の街が洪水に飲み込まれ、「怖い思い出」ができてしまった。そんな中でも、楽しかった頃の思い出が蘇るような、そんな歌を作ろう!という事でプロジェクトがスタートしました。

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そもそも、なぜ「歌」だったのでしょうか?

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杉田さん

2011年の東日本大震災の後、宮城県の中学校で歌う機会をいただきました。その中学校には、津波で校舎が流されてしまった気仙中学校の生徒たちもいました。僕たちが歌った後、代表の生徒さんが「校舎は流されてしまったけど、”校歌”は残っています。その校歌を歌うことで、自分たちは気仙中の生徒だと認識できる。一つになれるような気がします。」と挨拶してくれたのですが、僕にはその言葉がずっと残っていて…「歌」には、そんな力があるんだと実感した経験でした。そんな想いもあり、今回「歌」を選びました。

感謝の気持ちと、頑張ろう!の気持ちを歌に託して

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「のむらのうた」は、どのようにして作られたのでしょうか?

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杉田さん
まず、その年の11月に野村町の小学生を集めてワークショップを開きました。その冒頭で、子どもたちに「どんな気持ちを歌ってみたい?」と聞いてみると、
  • 被災時に全国からボランティアの方々が来て、復興を手伝ってくれたのが嬉しかった
  • 応援される事で、頑張ろうと思えた
という声が多く挙がりました。嬉しくってありがたい、感謝の気持ち。応援されて、頑張ろう!と奮闘する気持ち。その二つの気持ちを、野村の言葉で表現した「がんばってみるけん、応援してやなあ」というサビのフレーズができました。
次に、その気持ちはどういう時に沸き起こるのかをみんなで考え、例えば「乙井大相撲の前日」など、小学生から出てきたエピソードを元に、ワンコーラス目を完成させました。
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子どもたちの、率直な気持ちが歌われている歌詞なんですね。

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杉田さん

本当に、小学生の今の正直な気持ちを歌ったものが1番。そして2番以降は、町の小中高の全生徒からアンケートを取りました。野村町のどういう所が好きなのか、いつも何をして遊んでいるのか、野村の子どもたちの「日常」を知りました。それを使って、野村の方々に共感いただけるような歌詞を制作。「地域のみんなが家族みたい」とか「のむらダムまつりの鯉のぼり」「緑あふれる山に朝霧がかかっている」とか、野村のみんなが歌詞を聞いて、その情景を思い浮かべられるような、そんな歌詞が並んでいます。

▶︎野村町復興ソング「のむらのうた~がんばってみるけん 応援してやなぁ~」
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その後、ミュージックビデオも制作され、翌年にはコンサートも開催されたとか!

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杉田さん

そうなんです。ミュージックビデオは、愛媛大学の羽鳥ゼミの学生さんたちが作ってくれました。学生さんには11月のワークショップにも参加していただき、ミュージックビデオの絵コンテの制作から、ロケ、撮影、編集まで全てお任せしました。
また、今回のプロジェクトはNPO法人TOKYO L.O.C.A.Lさんもサポートしてくれました。クラウドファンディングの立ち上げにご協力いただき、全国から114名の方の支援をいただきました。多くの方々のサポートを受けたことにより、2019年3月2日には野村小学校の体育館で、「のむらのうた」を披露するコンサートを開催する事ができました。コンサートには、NHKをはじめ、多くのメディアが取材に来られていて、大きく取り上げられました。野村町が「がんばっている」事が、愛媛のみなさんに伝わった事がとても嬉しかったですね。

▶︎のむらのうたコンサート/TOKYO L.O.C.A.L

「のむらのうた」を通じて、地域がつながっていく

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歌が完成して、子どもたちに変化はありましたか?

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杉田さん

はい。今回の歌づくりに参加してくれた、合唱部のある女の子がいます。その子は、西日本豪雨で被災し、仮説住宅に入りました。歌が大好きで、被災する前の自宅ではよく歌っていたのに、仮説住宅に移ってからは、環境の変化からなのか、歌を歌わなくなってしまった…でも、「のむらのうた」ができてからは、その練習を通して、家の中にまた歌声が戻ってきたそうです。「とても嬉しい」とお母さんが話してくれました。

また、「のむらのうた」は主に合唱部の子どもたちが歌ってくれていたのですが、給食の時間に放送で流したり、5年生の学年発表会で合唱する事になったりと、どんどん歌の輪が広がっていきました。そして、低学年の子どもたちも「私たちも歌いたい!」と声を挙げるなど、”歌が野村の人たちのものになっていく”過程を見て、胸がいっぱいになりました。今は、大人も口ずさんでくれるようになりましたよ。

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歌を通して、地域が繋がっていく感じがしますね。その後も、歌をつくる活動を継続されていらっしゃるとか。

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杉田さん

2020年に、愛媛県西予市の復興支援課の方からご連絡をいただきました。「新型コロナウイルスで日本全体が混乱している。私たちは、被災時に全国のボランティアの方に助けていただいた。今度は、西予市から応援のメッセージを届けたい!」というものでした。
そうして「みんなでつくろう!のむらのうたプロジェクト2020」が始動。「応援への感謝の気持ち」を歌った、”アンサーソング”である「のむらからの手紙〜応援するけんがんばってや〜」が完成しました。

▶︎のむらからの手紙 〜応援するけん がんばってや〜
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杉田さん

また、西予市野村支所の方からもお声がけいただき、今度は大人たちが「地域への愛」や「野村の街をよくしたい」という想いを歌った西予市野村地域愛ソング「野村人煦(のむらじんく)〜立ち合い・サシアイ・支え合い〜」を制作しました。
こうして、野村町三部作が完成。最初は1人で始めたものが、いつの間にかたくさんの人が関わるプロジェクトに変わっていきました。野村町と人々の繋がりが一気に広がっていくのを感じましたね。
人との縁が繋がり、点と点が線になり、面になって…そうやって、地域の繋がりを作る事ができた事がとても嬉しいです。

▶︎西予市野村地域愛ソング「野村人煦(のむらじんく)〜立ち合い・サシアイ・支え合い〜」

音楽ハーモニーの可能性を信じ、社会を変えていきたい

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今後、杉田さんはどのような活動に力を入れていくのでしょう?

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杉田さん

僕は、音楽ハーモニーから人間関係の調和を学ぶ「ハモニケーション®︎」ワークショップを主催しています。今後は、それを企業向け/自治体向け/教育向けの3つの軸で進めていきたいと考えています。僕自身、企業に勤めた経験から、組織としての不調和があるとメンタルがやられてしまう、という事を体感して…
「ハモること」ってすごく難しいんですけど、それは日常生活でも同じ事。今の日本は、一人ひとりが持っている「独自性」、つまり「違う部分」をネガティブに捉えがちな人が多い気がしています。
でも、それを音楽に置き換えてみてください。一人ひとりの声の「とがった部分」を削って、周りの人の声の質と合わせてしまうと、人の心に響くものにならないんですよね。声の”ギザギザ”を出し合った時の響きの広がりが、感動を呼ぶんです。
社会でも、そんな風に一人ひとりがありのままに表現できるようになったらハッピーだなと。そういう世界で生きていきたいと思うので、「ハモニケーション®︎」を通じて、社会を変えていければなと思っています。

▶︎ハモニケーションワークショップ/hamo-labo
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最後に「地域商人」として、やってみたい事はありますか?

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杉田さん

「地域商人」はまだ始まったばかりで、今はそれぞれが点と点。でも、今後それがどう繋がって線になっていくのかな、という事をとても楽しみにしています。僕自身も、この活動を続けていれば、いずれ繋がっていけると期待していますね。

編集後記

私には音楽が大好きな3歳の娘がおり、いつも当たり前のように歌声が響いています。今回の取材で、被災によって仮設住宅に移り、家の中から歌声が消えてしまったエピソードをお聞きし、胸が痛くなりました…でも、杉田さんの作られた「のむらのうた」を通して、日常に歌が戻ってくる様子。同時に「頑張ろう!応援してね!」という気持ちが、野村町に広がっていく様子が伝わってきて、改めて「歌の力」を感じることができました。
地域商人には、さまざまな地域の方が属しています。「姉妹都市」という自治体同士の提携の形がありますが、例えば「音楽姉妹都市プロジェクト」のようなイメージで、2つの自治体の子供たちが同時に歌を作り、完成したらパートナー側の市町村に出向いてコンサートを開く。そして、子供たちだけでなく親御さんも一緒に、その土地のものを食べ、観光し、魅力を堪能して帰る、というような「音楽を軸にした地域交流」などできたら、楽しそうだなあと思いました。(SNS世代の子供たちに、その土地の魅力や発見について、発信してもらえたらなお嬉しい…)妄想は膨らみます!

(取材・文/三神早耶)
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